Comawork Stories
コーマワークで体験したこと
ANGELES 🇲🇽
はじめに: 私たちのこの世からの旅立ちは予測不可能で、時には予期せぬものであったり、事前に予告されたりします。愛する人との別れに際して、伝えたかったことやしておきたかったことで後悔が残るのは、たいていの場合、私たちが、こうした出来事を前に、どのように行動すればよいのかわからないからでしょう。 父の病気は2012年(88歳)に始まりました。突然の気分の落ち込みや物忘れなど、私たち家族が重要視していなかった小さな兆候から始まり、少しずつ、あらゆるものと人から距離を置くようになりました。2016年には睡眠障害も出て、何かおかしいと思うようになりました。91歳の時に「前頭側頭型認知症」と診断され、老年科医から「これからもっと悪くなっていくから、覚悟しなさい」と言われました。その言葉のとおり、父は少しずつ身体・認知・動作機能が衰えて、私たちとは別の内なる世界に籠るとともに、表情や眼差しから父らしさが消え、発話が失われ、意思疎通のできない寝たきりの状態になっていきました。そんな中、カロから「コーマワークで、お父様の開かれた(体験様式の)チャンネルを見つけ、それを通してコミュニケーションをとりながら関わる」提案があり、迷いながらも、もしかしたらうまくいくかもしれないと思い、受け入れました。 最初に、介護者である私がリラックスすること、介護される側(父)と呼吸を同期させて繋がり、感情的に伴奏することを目標としました。同時に、目の動きや表情、言葉や音など、父が気づいていて、何らかの形で私たちを近くに感じていることを伝えるような反応があれば、そのシグナルを増幅してコミュニケーションできるよう観察する必要がありました。呼吸と同期してつながると、父の顔は穏やかになりました。 別のセッションでは、呼吸に同期して身体的接触(触れる、放すなど)を試みました。父が息を吸い込む、私が彼の手を握り、息を吐き出すときに放すなど。彼は眠っていましたが、彼の表情は穏やかで、それは言葉のいらない、魂と魂のコミュニケーションと感じました。 セッション(11/20) 腕と足の動きを増幅させたり、反対の動きをする。増幅すると動きがスムーズに流れるが、反対の動きをすると抵抗する。目を瞑っていたり、その場にいない感じがしても、父は私たちに気づいているのだと分かる。 セッション(12/4) 腕を動かすと、「寒い」「水が多い」「外はとても寒い」「快適だから、このままにしておいて」というような言葉を発しました。不快な時は不機嫌な様子で目を閉じているものの、反応があり父がそこにいることが分かりました。魂と魂のコミュニケーションを取ることが可能なんだと思いました。 セッション(12/18) 父は「温かい水」「たくさんの水」と言い続けます。私は彼の耳元で「大丈夫」「恐れることはないよ」と話しかけ、同時に彼の手を取って動きを増幅させると、それに反応して父は目を開けたり閉じたりしました。これも大切な意味ある表現なのです。このような新しいコミュニケーションの方法によって、父は安心し、サポートされていると感じているのが表情から窺え、この頃には、以前のような怒りの表現も少なくなっていったと思います。 セッション(01/29) 家族としては、父が回復して以前のように戻ることを欲していましたので、そうでない状態を受け入れることに抵抗がありました。すると、カロから、父の耳元で、娘としての自分の感情を表現し、語りかける提案がありました。「私は、お父さんがいなくならないでほしいと伝えることを自分に許可するけれど、お父さんのニーズがそれと反対であれば、私はそれをサポートするわ」と言うと、父は私の手をギュッと握り、目を開けて「ありがとう、娘よ」と言い、再び目を閉じて眠りました。 セッション(2/12) セッションの途中、父は「赤い馬」と言い、私たちは彼の「夢」を増幅させ、「あなたは自由に向かって走る赤い馬です。私たちは、リーダーであるあなたについて行きます」と伝え、動きを増幅させ、彼の耳元で話すと、父の表情は幸福そうになりました。このようにして、学んだことを可能な限り実践しながら2021年4月17日までセッションを続けましたが、父の体調は少しずつ悪化して行きました。 ある時、突然ベッドで起き上がったので、どうしたのと尋ねると、「consumatu est(イエスキリストが十字架の上で最後に仰った言葉「全ては成就した」の意味)」とだけ言って再び横になり、深い眠りに戻って行きました。、少しずつ、食事も水も摂らなくなり、日に日に弱っていく父に、家族の総意で特別な治療はせず、質の高いケアと尊厳をもって、命の終わり、自由への旅立ちを支援・伴走することを決めました。そして、父が亡くなった後、カロとコーマワークのおかげで、後悔や罪悪感はなく、ただ感謝と平和と静寂があります。 「自由への自然な過程に同行することは、数少ない特権である」どこかで読んだ言葉が心に響いています。
Testimonio: MI EXPERIENCIA CON COMA WORK ANTECEDENTES Nuestra partida de este mundo es impredecible y a veces inesperada, o se anuncia con antelación, pero aun así, no tenemos la oportunidad de poder despedirnos de nuestros seres queridos y quedan cosas pendientes por decir o hacer, generalmente es por no saber cómo actuar ante estos hechos. La enfermedad de nuestro padre comenzó desde 2012 (88 años) con pequeñas señales como cambios de humor repentinos, olvidos que no les dimos importancia, poco a poco se fue aislando de todo y todos, luego vinieron los problemas de equilibrio con caídas frecuentes, los olvidos ya más evidentes; después de ser gran conversador y lector poco a poco fue dejando de lado todo eso. Ya para el 2016 con problemas para dormir ya era evidente que algo no estaba bien, fue en este año a sus 91 años que le fue diagnosticado “demencia fronto temporal” y nos dijo el geriatra: y prepárense porque se va a poner peor; así fue, poco a poco se fue deteriorando y adentrándose en otro mundo diferente al nuestro y a pesar del tratamiento que se le siguió, no fue posible detener el deterioro mental, físico y motor, llegando a depender para todo de los demás, su rostro y su mirada dejaron de expresar, fue perdiendo el habla y quedo postrado en cama, ausente, irritable, con alteraciones del sueño, dificultad para entender y expresarse. Y casi todo el tiempo dormido, lo cual era problema para poder comunicarnos; ante este panorama kaori sugirió aplicar coma work para ver y encontrar las formas de comunicación que estén abiertas y trabajar en ellas y poder relacionarnos con él, así con algunas dudas acepte y pensé tal vez funcione. Así comenzamos las sesiones en octubre 2020 se iniciaron con ejercicios de relajación para el cuidador; sincronizar respiración del paciente y el cuidador con la finalidad de crear una conexión emocional de acompañamiento y de estar, al tiempo había que ir observando si había alguna respuesta por pequeña que fuera por parte de él, como movimiento de ojos, expresiones faciales o palabras y sonidos que nos dijera que él se daba cuenta y de alguna manera nos percibía cerca y podríamos comunicarnos amplificando esas señales; al hablarle al oído, ejemplo hola... soy Ángeles... aquí estoy, ¿Cómo estás?, todo sincronizado con respiración, se observó en su rostro tranquilidad. En otra sesión se utilizó contacto físico, tocar y soltar sincronizado con respiración: al inhalar él, yo aprieto la mano, al exhalar él yo suelto, aunque él dormía, su expresión era de calma, fue una comunicación de alma a alma, sin necesidad de hablar. Sesión (20/11/20) Se aplican movimientos en brazos y piernas, ya sea amplificando los movimientos o llevando al contrario a lo que él hace; en esto, el resultado fue que en la amplificación fluyo todo bien, pero al ir en contra se resistió, lo que nos dice es que se da cuenta, aunque tenga los ojos cerrados y ausente. Sesión (4/12/20) Al movilizarle los brazos, él pronuncia palabras sueltas como: tengo frio, mucha agua, allá afuera hace mucho frio, déjame así estoy a gusto; se molesta si lo incómodo y siempre con ojos cerrados, sus respuestas dicen que se da cuenta y que el ser está ahí y es posible comunicarse de alma a alma. Sesión (18/12/20) El sigue hablando de “agua tibia”, “mucha agua”, le hablo al oído y le digo que “todo está bien”, “no hay nada que temer”, al tiempo que tomo sus manos amplificando sus movimientos, como respuesta abre y cierra los ojos; para cambiarle el pañal opone resistencia y se enoja, lo toco con suavidad y le hablo en tono bajo y suave, le explico lo que voy a hacer y solo así acepta sin resistencia. A veces emite sonidos repetitivos y fuertes de forma continua, que terminan por exasperarme, como toda expresión esto tiene un significado, algo que él necesita hacer, debo olvidarme de lo molesto que son y entender que está expresando su energía acumulada y nos corresponde ayudarlo a que saque esa energía, amplificando sonidos y movimientos. Con estas nuevas formas de comunicación creo él se siente seguro y acompañado por la expresión de su rostro, y hay menos enojos. Sesión (29/01/21) Uno como familia quisiera que él mejorara y que volviera a estar como antes, me resisto de alguna forma a esto. Kaori me sugiere hablarle al oído y expresarle mis emociones y hablarle de hija a padre: “me puedo dar permiso de que no te vayas, pero si tu necesidad es otra, yo te apoyo” ante esto mi padre aprieta mi mano abre los ojos y dice: gracias hija y vuelve a dormir. Sesión (12/02/21) Durante el ejercicio él dice: “caballo rojo”, amplificando su “sueño” le decimos: guíanos, eres caballo rojo cabalgando hacia la libertad, amplificando los movimientos y hablándole al oído, su rostro expresa estar feliz. Así continuaron las sesiones hasta el 17 de abril 2021 aplicando todo lo posible lo aprendido, poco a poco se fue deteriorando más y más, una ocasión de manera repentina se sentó en la cama, al preguntarle ¿Cómo está? el solo dijo: “consumatu est” y se volvió a acostar y regreso a su sueño permanente. Poco a poco, él dejo de comer y tomar agua, y se fue debilitando cada día mas, por consenso familiar se tomó la decisión de no hacer nada extraordinario en cuestión de tratamientos, solo asistir y acompañar con calidad de cuidados y dignidad a salir de la vida y emprender su viaje hacia la libertad; finalmente nuestro padre falleció el 21/04/21 en su cama y en su casa en silencio como cuando se apaga una vela, así voló alto hacia la libertad. Gracias a kaori y su coma work, no hay lamentaciones, ni culpas, solo agradecimiento, paz y tranquilidad, de haber efectuado un acompañamiento de calidad y con calidez a nuestro padre; tome el dolor y enojo que me producía verlo en esas condiciones y lo transforme en compasión y desde ahí cabalgamos juntos en su viaje hacia la libertad. Lo leí por ahí y me gusto la frase: “acompañar en su proceso natural hacia la libertad, es un privilegio de pocos”.
私にとってのコーマワーク、そして父のこと
KARO 🇯🇵
父が最期の3週間を過ごした緩和病棟では、コロナ禍でも面会が許され、仕事終わりに立ち寄る病室で、ほぼ毎日小一時間一緒に過ごすことができました。緩和病棟に移った直後のまだ日常的な会話が出来た時は、お墓の手配や大切にしていた神棚の処分など具体的な希望、幼少期の記憶や人生のエピソード、最近見た夢の話などを聞きました。胆管がん終末期の強い痛み止めの処方もあってか、徐々に会話ができる時も半ば夢の世界にいる印象で、傾眠や意識が朦朧とした状態も増えていきました。父の病室を出て、日の暮れた駐車場へと向かう足取りが不思議なエネルギーに包まれてふわふわした感覚を、今も鮮明に思い出します。 プロセス指向心理学では、幼少期の夢や記憶がその人の人生の青写真的性質を持っていると考えますが、私の人生の最も古い記憶は1~2歳の頃、両親が言い争っている声で夜中に目覚めて祖父の膝の上でじっと座っているというものです。思い出し得る限りずっと不和だった父母の離婚成立は私が大学進学で上京したタイミングでしたが、同居する母方祖父母が情に厚い奉仕の人たちであったのに比べると、父は我が強く自己中心的に思え、価値観においても共感するのは絶望的に思えました。そんな父に思春期から顕著に反抗して取り続けた心の距離は、12年以上の海外生活を経て夫と長男同伴で帰国しても変わることはありませんでした。 祖母を自宅で看取るタイミングで、父が胆管がんステージ4の宣告を受けた時、私が母を説得する形で、お互いの生活に適度な距離をおくための具体的条件を提示して、家の別棟への引っ越しを提案しました。長期の入院治療を経て、引っ越してきた父は思いのほか元気になり、通院治療しながら自分のペースで過ごした3年の間も、お互い譲れないことでぶつかる場面も数回あって、関係性が大幅に改善したわけではありませんでした。亡くなる年の9月に81歳の誕生日を迎えた直後、運転中に具合が悪化して救急搬送となり、一時帰宅を許された半日以外11月20日まで病院で過ごしました。緩和病棟に移ってからは、温かい医療スタッフの皆様が、身体的痛みの緩和だけでなく、父の語りに温かくお付き合い頂き、人生最期の居場所となって下さったことに、心底から感謝の気持ちでいっぱいです。 緩和病棟で日常と異なる意識状態の父と会うようになって、我が強く自己中心的と思えた父の性格の背後に、第二次世界大戦の東京空襲で家族の生活が一変した幼少期に置き去りにされたままの感情が顔を出し、さらに深い父の深層に「豊かさへの祈り」そのもののが息づいているのに気づかされる出来事がいくつかありました。意識が朦朧とした状態が増える中、父のいるところに降りていって言葉をかけたり、身体の傾向や微細な動きを拾ってサポートする、コーマワークの基本スキルをとおして関わり続けました。そうした時間を共有することで、父の「生」全体を受け入れて深い共感と繋がりを感じることができたことは、父が元気な頃にそうした関係に至らなかったことに対する悲しみが全くないわけではありませんが、私の人生最大の贈り物の一つとなるとともに、人間の本質理解の新しい指標となりました。 深層心理学に基づくプロセス指向心理学の人間観では、私たちが日常的に機能している役割を意識的に担うことを大切にしながらも、意識という大陸の下に広がる広大な深海(個人的無意識と集合的無意識)に「眠る」その人らしさや固有のパワーに、体験的に目覚めることをとおした「生きる意味」の再発見を支援します。私たちが「特別な意識状態」にある時、(視覚もしくは聴覚)イメージなどの内的体験の中で、それまで生きられなかった自分らしさや、より深層的な全体性(その人らしさの本質)に自己一致する可能性に開かれた状態にいるといえるかもしれません。4年以上を費やしたコーマワークのトレーニングは、こうした意識の深層への縦軸を「気づき」という光を携えて流動的に行き来しながら自分の人生を見直すことを含み、そのことが家族システムの中の固定化した「役割」同士の関係性では容易にあい入れることができなかった父の本質と出会うことを可能にしてくれたと思います。 亡くなる日の前の晩、仕事を終えて病室を訪れると、父は眠っているようでしたが、コーマワークの呼吸合わせからはじめて語りかけながら心に浮かんだ「みんな一緒、数珠のように繋がっている」と伝えた私の言葉を、父がしっかりと受け取っている実感がありました。祈るように合わせられた両手が小さく振動するのをサポートすると両腕が軽々と頭上に上がり、天に向かって伸びる所作に変わっていったこと、抱きしめたときに感じた肋骨が剥き出した硬さの辺りで、上着の結び目を解くような仕草をする父に「もう(身体を)脱いでいいよ」と伝えたことを、夢の記憶のようでありつつも、鮮明に覚えています。次の日は夕方まで(心理士として)面接の切れ間がなく、最後の相談者が終了して立ち上がった瞬間に、主治医から携帯に電話があり、父の呼吸が止まりそうであると伝えられました。10分ほどで病室に到着すると、横たわる父の身体はまだ温かく「仕事が終わるまで待っててくれたのでしょう」と感謝とねぎらいの声をかけました。家族葬を終えた後も、父の愛情と慈しみが、突然現れる虹や土砂降りの帰路を伴走し続ける月、雲間から一転して顔を出す陽の光、遺品の中にインスピレーションのように浮かび上がる言葉たちとして届きました。 昏睡を含む極限意識状態という心の深い層でお互いが出会うとき、私たちの日常レベルの葛藤や傷ついた関係性は包みこまれて深い癒しをもたらされるのだと思います。父との最期の時間もまた、私の親子関係の葛藤とそれによる幼少期からの傷つきを全く予期しない方法で癒してくれました。そのことが、プロセス指向コーマワークの提供をとおして、ご家族やご友人が昏睡状態や認知症、看取りのプロセスにおられる時に、その大切な方の特別な意識状態に寄り添い、それまで以上に深いレベルでつながり、生と死を超えた変容を共に生きられることを支援したいとの思いを支えています。